あの日・・・3.11
5年前の3月11日も金曜日でした。
ちょうど仕事中。
生徒さんと一緒に、気持ちの悪い揺れを感じました。
その夕方には、当時小学6年生だった次女を、一人で名古屋に送り出す予定。
一人でバスに乗っている最中、もし地震が来たら・・・
立ち往生したら・・・
この場合取りやめるのが当然。
でも、名古屋に住んでいる長女に、どうしてもその日のうちに届けなければならないものが!!
仕方なく、仕事が終わった夜10時過ぎ、名古屋に向けて出発することに。
助手席には次女。後部座席には、いざというとき用の毛布を積んで、若干の食料も。
そこで迷ったのはルート。
東海北陸道を通れば早いけれど、万が一の時には大きな事故になってしまう・・・
阪神大震災の時の崩れ落ちた高速道路が目に浮かびました。
でも、国道41号線を通れば、落石や悪くしたらがけ崩れがあるかも・・・
思えばその時にはまだ、巨大地震の知らせはそれほど届いていなかったはず。
でも、ものすごく気持ち悪い感覚があったことを覚えています。
結局、東海北陸道を選択。
ところが、清見インターを過ぎてすぐ、ハンドルをとられるような違和感。
その時起きたのが長野県の地震。
どこで、どのタイミングで自分に降りかかってもおかしくないちょっとした場所の違い。
後から考えると空恐ろしく・・・
翌早朝、車内ラジオで刻々知らされる状況に、意識も頭も追いつかず、ただただ戦慄するしかなかった、あの日。
たった5年です。
思い出にするには生々しすぎる・・・
決して忘れず、今も続く困難を応援する手立てを考えなきゃ。
そして、備えなきゃ・・・
点検、始めます!
ちょうど仕事中。
生徒さんと一緒に、気持ちの悪い揺れを感じました。
その夕方には、当時小学6年生だった次女を、一人で名古屋に送り出す予定。
一人でバスに乗っている最中、もし地震が来たら・・・
立ち往生したら・・・
この場合取りやめるのが当然。
でも、名古屋に住んでいる長女に、どうしてもその日のうちに届けなければならないものが!!
仕方なく、仕事が終わった夜10時過ぎ、名古屋に向けて出発することに。
助手席には次女。後部座席には、いざというとき用の毛布を積んで、若干の食料も。
そこで迷ったのはルート。
東海北陸道を通れば早いけれど、万が一の時には大きな事故になってしまう・・・
阪神大震災の時の崩れ落ちた高速道路が目に浮かびました。
でも、国道41号線を通れば、落石や悪くしたらがけ崩れがあるかも・・・
思えばその時にはまだ、巨大地震の知らせはそれほど届いていなかったはず。
でも、ものすごく気持ち悪い感覚があったことを覚えています。
結局、東海北陸道を選択。
ところが、清見インターを過ぎてすぐ、ハンドルをとられるような違和感。
その時起きたのが長野県の地震。
どこで、どのタイミングで自分に降りかかってもおかしくないちょっとした場所の違い。
後から考えると空恐ろしく・・・
翌早朝、車内ラジオで刻々知らされる状況に、意識も頭も追いつかず、ただただ戦慄するしかなかった、あの日。
たった5年です。
思い出にするには生々しすぎる・・・
決して忘れず、今も続く困難を応援する手立てを考えなきゃ。
そして、備えなきゃ・・・
点検、始めます!